帰省とか。その2。
6日の函館。
札幌行き終日運休と書かれた貼り紙を見て、ターミナルのお姉さんに詳細を聞くものの、特に進展はなく、
ただ分かったのは、私たちを含む、バスを予約していた人達への連絡については、停電していたからこそ出来なかった、ということだけ。
明日以降も、バスは動くか分からない。
連絡が出来ないから、また明日以降、案内所まで来て貰うしか方法がない、と言うお姉さんたちを前に、ただただ呆然と立ち尽くす私たち。
その後、何件かホテルを周ってみるものの、どこも暗くて、新しいお客さんの受け入れはしていないとのこと。
うろうろしていたところ、あと30分だけ開けているというドラッグストアを見つけて、とりあえず烏龍茶二本とウェットティッシュだけ購入。(このウェットティッシュ、顔を拭いたり手を拭いたり、後々とても役立ちました…)
開いているお店も限られる上、荷物も重く行き場もないので、とりあえず駅まで戻り。
青森で買っていたお惣菜や、お菓子を少しずつ食べて。本当、食べることって大事です。不思議なもので、食べているとそこまで気持ちが沈まない。
そうそう。写真は撮っていないのですが、函館駅も、しばらく真っ暗でした。夜になって、電気がようやくついた時、「わぁ、」っと歓声が上がって、皆んなが一斉に拍手をしたあの瞬間の光景を、きっともうしばらく、私は忘れられないと思います。
何度か駅員さんが避難所の場所を伝えに来てくれたりもしたのですが、どこも遠くて、街灯がない中、歩いて行くには不安だったことから(タクシーを使うのが一番だったとは思うのですが、その頃は使えるATMもあまりに少なかったので、軽々と所持金を減らすこともしたくなかったのです)、結構長い間、二人で駅にいました。
そんな時、徒歩10分ほどの距離にある場所が、避難所として解放されることになったと案内があり、そのくらいの距離なら、と、行かせて貰うことに。
たかが10分弱。
それでも、灯りのない中で外を歩くのは、普段感じることのない恐さがありました。
すれ違う人にも、ギリギリまで気付けないので、必要以上にどきりとするのです。車のライトがあると安心しましたが、すぐ近くを車が通る度に、心臓を掴まれたような心地になりました。
そしてようやく到着。
広い部屋に、十人ちょっといたでしょうか、座布団と毛布を貸して貰って、団扇とお茶をいただき、そこでようやく携帯の充電も出来ました。
節電されているとはいえ、そこは早々に明るさも戻り、水も流れていたので、ずっと張り詰めいていた気持ちを随分落ち着かせて貰いました。(一眠りした後、調度ブラシとチューブを持っていたので、お茶でゆすぐ形で歯磨きしたのですが、意外とそれも凄く大きかった気がします。マイブラシ、今後も持ち歩こうと思いました)
函館生活、まだもうちょっと、続きます。